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獣医師生涯研修事業Q&A 産業動物編

獣医師生涯研修事業Q&A 産業動物編(日本獣医師会雑誌 第74巻(令和3年)第5号掲載)

症 例:ホルスタイン種乳牛

産歴及び分娩後日数::2 産,分娩後 90 日

主 訴:外陰部より水様の粘液を時折排出しているが,発情かどうか分からないので診てほしい.

臨床所見:一般状態に異常は認められなかったが,ボディコンディションスコア(1~5 の 5 段階スコア)は 2.75 であった.腟検査を行ったところ,腟深部に粘液が貯留し,子宮頸腟部及び腟深部が充血し,軽度の炎症が認められた.採取した粘液は肉眼的にやや黄褐色を呈しており,pH は 8.4 であった.粘液の塗抹標本を作製して低倍で観察した結果,図 1 に示すような所見が認められた.直腸検査を行ったところ,子宮は収縮が強く腫脹し,右側卵巣に直径約 15mm の退行黄体,左側卵巣に直径約 16mm の波動感のある成熟卵胞が触知された(図 2).


質問 1:上記の臨床所見から本症例で最も疑われる疾病は何か.

質問 2:本症例に対して,もし発情であれば人工授精を実施したいとの要望が畜主からあった場合,どのような治療や対処が考えられるか.


図 1 粘液の塗抹標本の低倍像
図 2 直腸検査による卵巣所見
解答と解説

質問 1 に対する解答と解説:
本症例では,卵巣所見から黄体が退行し,成熟した排卵前卵胞が触知されたことから卵胞期(発情期)の牛であることが推察されます.発情期の頸管粘液は透明で牽糸性が高くなります.また,プロジェステロン濃度が低く,エストロジェン濃度が高い卵胞期では粘液中の塩化ナトリウムの含有量が多くなり,粘液をスライドグラスに塗抹して乾燥させると羊歯状,樹枝状,羽毛状の定形結晶が観察されます. 頸管粘液の pH は,発情周期に伴って周期的な変化を示し,発情前日及び発情日には pH6.5 近くまで下降し,それ以外の時期では大部分が 6.8~7.4 の値を示すことが報告されています(森ら,1979).本症例では,塗抹標本の粘液中に非定型及び定形結晶が混在して認められ,結晶の形成状態はあまり良くないものの発情期の粘液であることが分かります.しかしながら,粘液が肉眼的にやや黄褐色を帯び,pH が 8.4 と高いのは異常であり,粘液に尿が混在していると考えられます.したがって,診断としてはこの症例の牛は発情期にありますが,子宮間膜,腟壁などの生殖器の結合組織が弛緩して子宮,腟が下垂,沈下する結果,排尿された尿が腟深部に逆流して貯留する“尿腟”の状態であるということになります. 尿腟の診断は,腟検査によって肉眼的に尿の貯留を観察する他,腟内に貯留した粘液の色調,pH,クレアチニンなどの尿成分を検出する方法があります.今回の症例では,腟検査において認められた腟深部や子宮頸腟部の充血は発情徴候であると考えられますが,軽度の炎症は,腟内に貯留した尿の刺激によって子宮頸管炎や腟炎を継発していることが考えられます.炎症の程度や部位を調べるために,腟粘液や子宮頸管粘液,子宮内膜スメアを用いた細胞学的検査を追加で行うことも有効です.


質問 2 に対する解答と解説:
発情行動は観察されていないものの,腟検査及び直腸検査による生殖器の所見では発情期または発情前期であることが推察され,左側の卵巣に存在する卵胞が翌日あるいは翌々日には排卵することが予想されます.尿腟の牛において一時的に尿が貯留するのみの場合は,人工授精の前に排尿し,生理食塩液などで腟洗浄を行うことにより受胎が可能であるといわれています. しかしながら,慢性的な尿腟で子宮頸管炎や子宮内膜炎を継発しているものでは受胎が困難な場合が多いため,今回の症例では人工授精を実施せずにそれらの治療を優先して行う必要があります.また,尿腟は,栄養不良や老齢の牛に多くみられ,本症例は,2 産目の若い牛であるもののボディコンディションスコアが 2.75 と泌乳中期の牛の正常範囲(2.75~3.25)の下限値でやや削痩していることから,局所的な治療とともに栄養状態の改善も必要であると言えます.

獣医師は直腸検査の際に腟内に貯留した尿が排尿されることにより尿腟に気付くことがありますが,尿腟に対して積極的な検査や治療はあまり行われていないように思われます.近年,石山ら(2019)の研究において,尿中には紫外線により発色する蛍光物質が含まれていることから,腟内粘液に対する紫外線照射(UV 検査)により目視観察よりも容易に尿腟を診断することができることを示しました.そして,UV 検査を用いた診断では発情期の牛の15%が尿腟であり,この割合は従来考えられていた尿腟の罹患率よりも高いことが分かりました.今後の獣医療において,尿腟の診断と治療を適切に行うことにより,牛群の受胎率向上につながる可能性が考えられます.


参考文献

森 純一,富塚常夫,広木政昭,仮屋堯由:牛の性周期中における子宮頸管粘液の pH ならびに電気伝導度の変化 - 生体内測定による検討,家畜繁殖学雑誌,25,6-11(1979)

石山 大,遠藤なつ美,安藤湧希,吉田倫子,赤松優美,石井佑奈,清水秀茂,田中知己:ホルスタイン種経産牛における紫外線を用いた尿腟の検出とその有用性の検討,第 112 回日本繁殖生物学会大会講演要旨集(2019)


キーワード:乳牛、尿膣、粘液検査、人工授精