自分の頑張りで動物の病気が治ったり、問題が解決されることに大きなやりがいを感じます。
オホーツク農業共済組合 北見家畜診療所
- 出身大学:
- 岩手大学
- 卒業年次:
- 平成14年(2002年)
- 現在の所属:
- オホーツク農業共済組合 北見家畜診療所
卒業後現在までの略歴
- 平成14年
- NOSAIオホーツク
産業動物獣医師を志したきっかけは何でしたか?
子供の頃から牧場へ遊びに行くのが好きで、緑に包まれた牧場の中でのんびりと牛が暮らしている牧歌的な風景が大好きだった私。高校生の頃には、大好きな牛と触れ合える産業動物獣医師になりたいと決めていました。獣医師志望者は犬や猫が好きな人が多いのですが、私は小動物を飼ったこともなく対象は最初から「牛」。ちょっと珍しいケースかもしれません。産業動物獣医師になれれば勤務先はどこでもいいと思っていたのですが、募集していたのは北海道NOSAIだけでした。しかしここでも採用面接の際には「女性にはこの仕事は無理」と言われました。当時は女性の産業動物獣医師が非常に少なかったのです。「道内どこでも行きます!」と訴えたところ、現在の職場に配属されることになりました。
産業動物の診療を行う中で、特に気をつけていることを教えてください。
私は現在、主に牛(ときどき馬)の往診業務を担当しています。仕事をする中で特に気をつけているのは、農家さんの気持ちをきちんとくみとること。獣医師というと動物を元気にすることだけが仕事のように思われがちですし、私たち自身基本的にはそうした気持ちに基づいて働いているのですが、動物を「産業動物」としてとらえたとき、単純にそれだけではダメな場合もあります。たとえば重い病気にかかったり、齢をとった家畜を処分することを希望されるケースも中にはあります。農家さんが家畜をどうしたいのかは、きちんと話し合わなければわかりませんので、コミュニケーションが非常に重要であるわけです。最初の頃はこうした点で農家さんと意思疎通がうまくいかないこともありましたが、次第に知識と経験を身につけることで、農家さんからも徐々に信頼していただけるようになったと思います。
「これは大変だった!」という仕事のエピソードはありますか?
この仕事を始めたばかりの頃、乳牛の腹壁ヘルニアの手術を手がけたことがあります。私たちは牛の手術を毎日のように行っているのですが、この腹壁ヘルニアというのは非常に珍しく、10年以上のキャリアの中でお目にかかったのはたった2回だけ。午後から始まった手術は真夜中までかかり、10時間に及ぶ大手術になりました。仲間と協力しながら難しい治療をやり遂げられたときには、とても感動したのを覚えています。術後の回復も順調に進み、その後牛は元気に再び乳を出せるようになりました。このように、自分の頑張りで動物の病気が治ったり、問題が解決されたときにはすごく大きなやりがいを感じます。
仕事と家庭の両立で苦労されたことはありますか?
2人目の子どもを出産してすぐに夫が難病にかかり失業し、私自身体力的にも精神的にもボロボロになった時期がありました。今だから言えることですが、仕事を辞めて実家に戻ろうかと考えたこともあります。でも、やはり私は今の仕事も職場の人たちも大好きだったし、急に辞めることで周りの皆さんにご迷惑をかけたくもありませんでした。そんなとき、支えてくれたのは職場の仲間。上司、先輩、後輩、女性の業務職員などみんなが親身になって相談に乗ってくれたおかげで、なんとか乗り越えることができました。幸い今では夫も元気になり、家事や子どもの送り迎えを手伝ってくれているので、家事の負担はそれほど大きく感じていません。私が一家の大黒柱としてバリバリ働くことができています!
今までを振り返ってみて、育児しながら仕事を続けてよかったと思いますか?
私は子どもが2人いるので、育児休暇を2年間取得しました。そのとき初めてわかったのですが、仕事をせずに家で子どもたちの世話だけをしていると、社会とのつながりを感じることができないこと。その時期には孤独を感じることもありました。やっぱり私は外で仕事をする時間が好きなので、仕事と家事の両立は忙しくて大変ですが、仕事が逆に育児の息抜きになっている部分もあると思います。もちろん、子どもと一緒に過ごす時間もまた、仕事とはまた違う意味でかけがえのない、幸せな時間です。