長野県松本家畜保健衛生所 病性鑑定課
- 出身大学:
- 酪農学園大学
- 卒業年次:
- 平成3年(1991年)
- 現在の所属:
- 長野県松本家畜保健衛生所 病性鑑定課
卒業後現在までの略歴
- 平成3年
- 長野県長野保健所食品衛生課
- 平成7年
- 長野県松本食肉衛生検査所
- 平成8年7月
- 長女出産のため療養休暇~育児休暇
- 平成9年10月
- 職場復帰
- 平成10年
- 長野県飯田保健所食品衛生課
- 平成11年5月
- 次女出産のため療養休暇~育児休暇
- 平成12年7月
- 職場復帰
- 平成13年7月
- 長男出産のため療養休暇~育児休暇
- 平成14年9月
- 職場復帰
- 平成15年
- 長野県松本食肉衛生検査所
- 平成21年
- 長野県諏訪保健福祉事務所食品衛生課
- 平成22年
- 長野県を退職 専業主婦を満喫後、食肉製品製造業でアルバイト
- 平成28年10月
- 長野県職員に産休代替職員として任用され松本家畜保健衛生所に勤務
- 平成28年11月
- 育休代替職員に任用され現在に至る
現在の職場に入るまでの経緯を教えてください。
大学の農場や病院だけでなく、卒論のためにホルスタインを飼っていて、日常に牛がいる環境でしたが、大動物臨床を目指そうにも「女は採用しない」時代でした。
公衆衛生に携わる獣医師がいることを知り、小動物に進む気がなかったこともあって、地元の長野県職員を目指しました。
こうして文字にしてみると随分と安直な理由ですが、男女雇用機会均等法の制定された年に入学したとは言え、その恩恵にあずかることがなかった時代だったので、あまり選択肢がなくても仕方ないと思っていた気がします。
一度退職した後ふたたび県職員になったのは、今回は自分の希望が叶う、願ってもないチャンスだったから。大動物臨床の現場に近いうえ、臨床経験のない私でも検査室での検査ができれば採用してくださるというものでした。食肉製造業での仕事も楽しかったのですが、このチャンスは逃したくないと思い産休代替職員として再就職しました。
仕事の内容を教えてください。
私は病性鑑定課でウイルス検査の一部を行っています。県内の家畜保健衛生所でウイルス疾病の遺伝子検査等の精密検査が必要な場合はすべて松本家畜保健衛生所に検体が送付されてきます。畜種は牛、豚、鶏がほとんどです。主には検体からウイルスの遺伝子を抽出してサーマルサイクラーで増幅し電気泳動する、いわゆるPCR検査を行っています。
どのような点に仕事のやりがいを感じますか?
検査業務がやりたいと思っていましたから、今はやりがい以外感じていません。保健所には検査課の専門家がいましたし、食肉衛生検査所では細菌検査と病理検査を担当していたので、ウイルス疾病や検査手技に関する基礎知識は、30年近く昔の知識しかありません。息子には「太古だな」と言われました。
最初はありとあらゆる事を聞き逃さないように必死で、すべてを覚える自信もなかったのでたくさんメモをとりました。質問される方は迷惑だったと思いますが、私の方は楽しみながら学び直している感じでした。
鳥インフルエンザのHA試験を初めて実施したときは、知識はあっても発育鶏卵に触るのすら初めてで、どこにどうやって穴をあけるのか、どんな角度で注射針を入れればいいのかなど、コツを習得しながらの検査で時間がかかりすぎて、発育鶏卵が死んでしまわないか心配でした。
仕事と育児の両立において、印象に残っているエピソードを教えてください。
3人の子供に恵まれましたが、当時の育児休暇は1年間でした。
保育園に慣らすために生後11ヶ月で預けましたが、どの子も驚異的な順応力を持っていたので、お迎えのタイムリミット19時にギリギリ間に合う18時45分まで仕事をしていました。3人分のおむつや昼寝布団、着替え服にタオルやエプロン、大量の荷物と子供をひとりで回収するのは無理です。県職員の夫も一緒に迎えに行き、私が食事を作る間洗濯物を片付けたりお風呂を入れたり、まさに二人三脚で日常をこなしているという感じでした。
時間の余裕はなかったけれど、つらかった記憶はありません。むしろ楽しかったことしか覚えていないかもしれません。唯一泣きそうになったのは、出席停止の病気にかかった子どもを実家に預けた帰り道くらいですね。