社会問題の解決に貢献できる仕事に、誇りを感じています。
神奈川県食肉衛生検査所
- 出身大学:
- 日本大学
- 卒業年次:
- 平成3年(1991年)
- 現在の所属:
- 神奈川県食肉衛生検査所
卒業後現在までの略歴
- 平成3年4月
- 藤沢保健所 食品衛生課
- 平成6年4月
- 秦野保健所 環境衛生課
- 平成11年6月
- 食肉衛生検査所 検査課と精密検査課
- 平成16年4月
- 秦野保健福祉事務所 食品衛生課
- 平成19年6月
- 食肉衛生検査所 衛生監視課
- 平成22年4月
- 保健福祉局生活衛生部食品衛生課 乳肉衛生・動物保護グループ
- 平成25年4月
- 食肉衛生検査所 検査第一課
県庁を志望した理由を教えてください。
もともと私は製薬会社等の研究機関に勤めることが夢で、獣医大学に入学しました。しかし6年生になった頃、周りに公務員希望の友人が多かったことと、公務員として就職した先輩から公務員を勧められたことから、公務員として働くことに興味を持つようになりました。特に惹かれたのは「女性にとっての働きやすさ」。福利厚生制度が整っていることから将来結婚し、子育てをしながら働くのに適した環境なのではないか、と考えたからです。
これまでの職務経歴を教えてください。
神奈川県に入庁した獣医師は衛生部局または農政部局のいずれかに配属されますが、私が配属されたのは衛生部局。勤務先には、保健福祉事務局、食肉衛生検査所、動物保護センター、そして県庁があり、おおむね3年ごとに異動があります。私は動物保護センター以外すべての部署を担当しました。現在は食肉衛生検査所で、食肉および食鳥肉による衛生上の危害の発生を未然に防ぐため、主に牛・豚のと畜検査、所内や関係機関との連絡調整等に関する業務を行っています。
公務員として働き始めて、入庁前とイメージが違うところはありましたか?
私は研究職に憧れがあり、県庁に入庁したら保健所での検査業務ができるものと思い込んでいました。でも、実際には行政職として事務仕事をすることが想像以上に多く、最初のうちは戸惑うこともありました。たとえば飲食店から提出される書類の審査や、食中毒予防のための注意喚起、講習会の実施などです。しかし、県内で店舗を運営しているみなさんと直接お会いするうちに、だんだんこの仕事の面白さがわかってくるようになりました。特に食中毒に関する情報や対策などをお話しすると、みなさんとても真剣に聞いてくださいます。そうした姿を目にすると、「私もみなさんのために頑張らないと」と自然に思えるようになりました。
公衆衛生獣医師としての仕事の醍醐味とは何でしょうか?
食の安全を中心に、社会的に問題となっている大きな事案に取り組めることは、公衆衛生獣医師ならではのやりがいだと思います。最近ではBSE検査対象の見直し時の対応や、腸管出血性大腸菌による集団食中毒発生後の対応、そして放射性物質検査への対応などがそれにあたります。私の主な業務は検査業務ではなく、県としての方向性を検討したり、各部署と連携しながら県全体で対策を進めるといった事務方の業務ですが、多くの部署・人と協力して社会問題の解決に貢献できる仕事に、誇りを感じることができています。
産休・育休の取得や職場復帰について苦労されたことはありますか?
私は平成6年および平成9年に産休・育休を取得しました。当時は今と比べると女性の獣医師(監視員)職が少なく、産休・育休を取得した獣医師(監視員)は私の周りにいませんでした。そのため、通勤緩和制度(時差出勤)などに対する認知度もまだ低く、職場復帰後もそうした制度を全面的に利用するのは難しい状況でした。保育園への子供の迎えのために早く帰りたいと思っていたのに、急な電話がかかってきて対応に追われる、といったこともありましたね。幸い、私の周りには助けてくれる同僚がいましたし、保育園の延長保育を最大限に利用し、夫や両親にも育児を手伝ってもらうことができました。そうした周りのサポートのおかげで、忙しい時期も乗り切れたのだと思います。
振り返ってみて、仕事と育児の両立に挑戦してよかったと思いますか?
子どもが小学校ぐらいのときまでは、学校行事や子供会の集まりなどもあるので非常に忙しかった記憶があります。でも、仕事を続けていること自体が育児に役立つこともありました。たとえば仕事柄私はパソコン操作に慣れていたので、そうしたスキルを活かしたり、バザーの時の食品の衛生的な取扱い等学校行事に貢献することもできました。当時は大変でしたが、私の場合はやはり仕事を続けてきてよかったと感じますし、今となっては楽しかったとさえ思えます。