共に乗り越えられたことが貴重な経験です。
宮崎家畜保健衛生所 防疫課
- 出身大学:
- 宮崎大学農学部獣医学科
- 卒業年次:
- 平成11年(1999年)
- 現在の所属:
- 宮崎家畜保健衛生所 防疫課
卒業後現在までの略歴
- 平成11年4月
- 福岡県内の研究機関に勤務
- 平成19年4月
- 宮崎県都農食肉衛生検査所(宮崎県庁に転職、以下、宮崎県知事部局内の職歴)
- 平成21年4月
- 都城家畜保健衛生所
- 平成24年4月
- 畜産課家畜防疫対策室(現 家畜防疫対策課)
- 平成27年4月
- 宮崎家畜保健衛生所
宮崎県庁に転職した理由を教えていただけますか?
私は大学卒業後、福岡県内の研究機関に勤務していたのですが、家庭の事情で地元の宮崎へ戻ることになり、平成19年に退職しました。「宮崎で獣医師資格を活かして仕事がしたい」と考えていたとき、宮崎県が獣医師を募集していることを知ったのが入庁のきっかけです。宮崎県では古くから畜産業が基幹産業ですが、私が宮崎に戻ろうとした当時は鳥インフルエンザが発生しており、そのような状況を見て、居ても立っても居られない気持ちになったことも、県庁を志望した理由のひとつです。
家畜防疫員としてどのような仕事をされているのか、教えてください。
口蹄疫や高病原性鳥インフルエンザ等の家畜伝染病の発生予防のため、検査および指導業務を行っています。家畜伝染病を予防するためには、畜産農家お一人お一人に伝染病の特性や対策をご理解いただくことが大切。特に、新しく畜産業を始められた方や、高齢の畜産農家の方は最新の伝染病情報をご存知ないこともあります。こうした農家を直接訪問して指導したり、定期的な家畜の検査を行ったりするのが、日々の業務となっています。
家畜防疫員として働く中で、印象に残っている出来事を教えてください。
平成22年に本県で発生した口蹄疫は、畜産業のみならず、商業や観光業、学校行事等、県民生活に深刻な被害を及ぼしました。このとき改めて、畜産が基幹産業である宮崎県において、家畜防疫は県民生活の基盤であると感じました。その当時私は疫学調査を担当したのですが、昼夜を問わず発生農場に赴き、畜産農家からお話しを伺う仕事に従事しました。中には、自分の農場で発生したことにショックを受け、涙を流される場面も少なくありませんでした。そのような中でみなさんと膝を突き合わせて話し合い、共に乗り越えることができたことは貴重な経験でした。
仕事をする中で、女性でよかったと思うことはありますか?
「県庁から家畜防疫員が検査に来るというから、もっと怖い人が来るのかと思ったよ。優しそうな女の人が来てくれてほっとした」と農家の方におっしゃっていただけたことが、何度かあります(笑)。また、そのようにやわらかい印象を持っていただけたおかげか、お悩みについて率直にお話しいただけているようにも思います。特に口蹄疫・高病原性鳥インフルエンザの発生時には多くの農家の方が仕事のこと、将来のことに不安を感じていらっしゃいましたし、「家畜を殺処分することに、妻や娘がショックを受けている。どうしたらいいだろう?」といった、ご家庭に関する悩みを相談いただいこともありました。もちろん、そうした悩みをすべて解決できるわけではなかったのですが、女性ということで気軽にご相談いただき、少しでも安心させることができていたなら、嬉しく思います。
逆に、女性ならではの苦労などはありましたか?
県庁に入るまでは産業動物に直接触れる仕事をしたことがなかったので、家畜保健衛生所に赴任し、大きな牛や豚などを取り扱うことに不安を感じたことはありました。でも、仕事はチームでするものですし、女性だからできないということは全くありません。確かに力では男性にかなわないところもありますが、複数人で協力すればたいていの作業はクリアできますし、男性職員もフォローしてくれます。おかげで、女性としての不安はすぐに払拭されたと感じています。
仕事とプライベートは両立できていますか?リフレッシュ方法などあれば教えてください。
福岡からUターン就職した当時は、慣れない仕事にプレッシャーもあったのですが、だからこそ「職場だけにどっぷり浸かってしまうのはよくないな」と感じていました。そんなときに興味を持ったのがマラソン。県庁のマラソン好きな人たちのチームに入れてもらい、生まれて初めて42.195キロを走りました。宮崎県は気候や自然に恵まれた環境ですし、いい気分転換になります。スポーツ以外にも、旅行や買い物などリフレッシュの手段はいろいろあり、公私ともに充実していると思います。