千葉県農業共済組合連合会
- 出身大学:
- 日本大学
- 卒業年次:
- 平成3年(1991年)
- 現在の所属:
- 千葉県農業共済組合連合会
卒業後現在までの略歴
- 平成3年
- 千葉県農業共済組合連合会 中央家畜診療所に配属
- 平成14年
- 西部家畜診療所に異動
- 平成17年
- 中央家畜診療所富津出張所に異動
- 平成21年
- 中央家畜診療所に異動
産業動物獣医師になろうと思った動機を教えてください。
獣医師になることは幼い頃からの夢でした。中でも産業動物獣医師に興味を持った理由は、動物病院内ではなく野外で働きたかったのと、実家が産婦人科の開業医だったため繁殖関係の仕事に興味があったからです。そしてこの仕事を選んだ決め手となったのは学生時代、千葉県にある大学の先輩の牧場を見学させてもらったこと。実際に繁殖関連の仕事を見せてもらい、出産にも立ち会わせてもらうことで獣医師の仕事や牛の面白さを知り、この世界に入ろうと決めました。ちょうどその頃私は生殖生理に関する研究を大学でしていたので、そうした知識を活かせることも魅力的に感じました。言うまでもなく、乳牛は子牛を分娩しないとお乳が出ませんので、繁殖というのは農家さんにとっても大変重要なものです。
就職当時は女性が少ない職場だったそうですが、ご苦労などはありましたか?
私が就職した1991年当時は産業動物獣医師としてバリバリ働いている女性はまだ少なく、職場では私がパイオニア的な存在でした。最初の頃は農家さんからも千葉県農業共済組合連合会からも、「大丈夫かな?」という感じで見られていたように思います。でも、実際に仕事をしてみると女性としてハンデを感じることはほとんどなく、だんだん農家さんからも「最初はちょっと頼りない感じがしたけど、女性の獣医師さんのほうが家畜の扱いが優しくていいね」などとおっしゃっていただけるようになり、信頼関係を築いていくことができました。さすがに力仕事では男性にかなわないところもありますが、同僚とチームで働くことで十分カバーできますし、農家さんに手伝っていただけることもあります。今では女性の産業動物獣医師もすっかり増え、昔と比べてずっと働きやすい環境になりました。
どんなときに「産業動物獣医師になってよかった!」と思われますか?
担当の牧場を訪れたとき、治療した牛が回復して元気に餌を反芻している姿や穏やかに休んでいる姿を見ると癒されます。また、無事子牛が出生したときや、繁殖障害の牛が受胎したときなどに「おめでとう」と言えるときはすごくうれしいですね。最近ではあまりやらなくなりましたが、昔は子牛が生まれるたびにお祝い事をするぐらい、牛の出産は農家さんにとっておめでたいことなんです。そういえば昔、父になぜ産婦人科医になったとのか訊いたとき、父は「命の誕生に立会い、『おめでとう』と言える仕事だから」と答えました。今の私の仕事もまさにそれと同じで、農家さんと共に「よかった」と言い合い、喜びを分かち合えるのは幸せなことだと感じます。
仕事と育児の両立ではどのような点で苦労されましたか?
妊娠中、どんどん大きくなるおなかを抱えての仕事は大変でしたが、臨月まで働いていたという農家のお嫁さんも多く、そうした話を聞いていると励まされました。特に第一子の出産は一大事で、初産の牛が起立困難になる気持ちがあれほどわかったことはなかったです(今となっては懐かしく、いとおしい思い出ですが……)。育児中も、子どもが小さいうちはゆっくり眠れませんし、体力的にきつかったのを覚えています。家族や職場など、周りの人々の理解と支えのおかげで、何とか乗り切ることができたのだと思います。ちなみに夫も積極的に家事をしてくれており、夕食もよく作ってもらっています。そういう点では、私はとてもラッキーだったと感じています。
逆に、「育児と仕事を両立してよかった」と思われることはありますか?
育児が忙しい時期はどうしても時間に追われながら仕事することになりましたが、その分時間の使い方がうまくなったように思います。また、ありがたいことに子どもたちはあまり手がかからない子たちでした。子どもたちは往診先の農家さんからいただいた牛乳が大好きで喜んで飲んでいましたし、農場でとれる旬のおいしい野菜のおかげで好き嫌いもなくすくすく育ってくれました。基本的に職場に連れて行くことはなかったのですが、あるとき帰り道で診療依頼が入り、やむなく小さかった娘を連れて往診に行ったことがあります。そのときは事務室で農家の奥さんが娘の相手をしてくれたのですが、私が診療を終えて事務所に戻ってきたら奥さんに「作ってあったおにぎり、この子が全部食べちゃったよ!」と驚かれたのも今となっては懐かしい思い出。娘は今21歳ですが、未だにこの奥さんからは「あのおにぎりをいっぱい食べてた子が、もうすっかり大人になって……」と言われます(笑)。