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獣医師生涯研修事業Q&A 小動物編

獣医師生涯研修事業Q&A 小動物編(日本獣医師会雑誌 第73巻(令和2年)第2号掲載)

症例:チワワ,10 歳齢,避妊雌,体重3.0kg.

既往歴:僧帽弁逆流と診断されており,これまでに肺水腫の発症はないと判断されているが,心拡大のためACE 阻害剤を投与されていた.

主訴・病歴:確定診断と正確なステージングを希望して来院された.咳以外に臨床症状は認められないとのことで,問診中も平常通りであったが,その直後の聴診中に突然,虚脱した.

身体所見:意識は混濁し,粘膜蒼白であった.脈圧は消失し,心音の聴取は困難であった.

X 線検査:特記すべき所見なし.

心エコー検査:右傍胸骨短軸断面像左心房レベル(図1)


質問1:突然虚脱した原因は何か.

質問2:行うべき処置は何か.


図1 右傍胸骨短軸断面像左心房レベルでLA/Ao(2.97)を計測しているB モード画像.
解答と解説

質問1に対する解答と解説:
心囊水が貯留している.量はどうか.「それほど多くはない」と感じられる方が多いのではないかと思う.しかし必ずしも量だけが重篤度を反映するわけではない.心囊水貯留の重症度は心囊内圧によって規定される.貯留液の量も,もちろん心囊内圧を規定する因子であるが,それだけではなく,心囊膜の伸縮性も圧を決める重要な要素である.一般的には貯留するスピードが緩やかであれば心囊の伸縮性も増すため,量に比して圧の上昇が緩やかとなる.一方,急性に貯留する場合には心囊膜の伸縮性は低く,わずかな量でも致命的な圧上昇を起こし得る.したがって,貯留液の量だけで重症度を判断してはいけない.では,圧を判断するためにみるべき所はどこであろうか.それは右心房壁である.本症例では右心房壁が虚脱して内反している様子が確認される(図2).特に心房が本来最大となるべき収縮末期にも虚脱が認められる点は重要であり,心囊内圧が右心房圧を凌駕していることを強く示唆する.これにより右心室への前負荷が低下して心拍出量が低下,すなわち心タンポナーデに陥っていることが強く予想される.心タンポナーデの原因として犬で最も多いのは心臓腫瘍であり,特発性心膜腔出血も一般的である.心臓腫瘍で一般的なのは心臓血管肉腫と心基底部腫瘍であるが,本症例においては心基底部にも右心耳にも病変は認められなかった.本症例で考慮すべきは,左房破裂である.左房破裂は僧帽弁逆流のまれな合併症である.破裂によって生じた穴を検出することは難しいが,心房破裂によって生じる心膜液はフレッシュな急性出血なので凝固することが特徴である.本症例は発症直後には不明確であったが,時間経過とともに心囊内に血餅のような構造が明瞭に認められるようになった(図3).以上の所見から,重度の僧帽弁逆流によって生じた重度の左心房拡大に伴う左心房破裂による心タンポナーデと診断した.

図2 右傍胸骨長軸断面像,拡張末期(A)と収縮期(B)のB モード画像.
本来心房が拡張すべき収縮期に右心房壁が内反し虚脱している(→).
図3 左心尖部四腔断面像でのB モード画像.左房壁側の心囊膜腔内に血餅が認められる(*).

質問2に対する解答と解説:
心膜穿刺が検討されるべき状況であるが,虚脱は一時的で徐々に血圧も上昇してきていたためドブタミンのCRI のみで経過を観察していたところ,1 時間後には起立可能となり,5 時間後には食事もとり,内服(ピモベンダン0.25mg/kg,bid)も可能となったため翌日退院とした.

本症例はその後ピモベンダンに加えてACE 阻害剤,スピロノラクトン,テオフィリンの内服を追加し時折生じる咳に悩まされながらも,少なくとも2年間は大きな心血管イベントもなく良好に経過している.

犬の左房破裂に関するまとまった報告は少ないが,2008 年に報告された14 例のcase series においては退院できた症例が5 例のみで,そのうちの2例は35 日以内に再発のため安楽死されており,生存期間中央値は35 日未満と非常に予後の悪い病態であるとされている[1].一方,2014 年に報告された11 例のcase series では10 例が退院可能であり,その半数が論文執筆時点でも生存し,生存期間中央値は203 日であったことが報告されている[2].この生命予後の大きな違いをもたらしている要因は定かではないが,後者の論文ではピモベンダンの使用が明暗を分けた可能性について言及している[2].一方,心膜穿刺については前者では3 例,後者では2 例に対してのみ実施されており,いずれも予後に対する影響は不明である.

本疾患に対する適切な対処法についてはまだ議論の余地はあるが,少なくとも左房破裂は「起こったら最後」の病態ではなく,心膜穿刺などの特別な治療を行わなくとも生還し,普通に日常生活を送っている症例もいることを知り,このような症例に出会った際には冷静に対処することが望まれる.


参考文献
  • [ 1 ] Reineke EL, Burkett DE, Drobatz KJ : Left atrial rupture in dogs: 14 cases (1990-2005), J Vet Emerg Crit Car, 18, 158-164 (2008)
  • [ 2 ] Nakamura R K , Tompkins E , R u s s e l l N J , Zimmerman SA, Yuhas DL, Morrison TJ, Lesser MB : Left Atrial Rupture Secondary to Myxomatous Mitral Valve Disease in 11 Dogs, J Am Anim Hosp Assoc, 50, 405-408 (2014)

キーワード: 心タンポナーデ,心房破裂,僧帽弁逆流